うちわの機能

うちわの機能

うちわには風を作り出して涼しさを感じさせる以外にも様々な機能があります。また、古くは風俗的・民族的な用途でも使われていたものであり、多様な意味が込められたものでもあるのです。最近では宣伝用に配られているものが主ですが、きちんと竹で作られた美しい装飾の団扇もたまには使ってみてください。

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物理的な機能

団扇の用途と機能は生活用具としての物理的な用途・機能と、それ以外の役割により、以下のように分類できます。まずは、一般的な「起風」の用途です。扇いで涼をとったり、何かを冷やしたり、子供に風をおくったり、塵を掃うために使ったり、濡れたものや傷などの乾燥に使ったり、風を送って物を飛ばしたりと言った使い方をします。また、料理にも多く使われていて、炊事の際に風を送って火を起こしたり、料理の粗熱を取るために団扇で仰いだりもします。江戸時代、唐箕が普及する以前は脱穀後、選別する籾を箕に入れて掲げ、人の手による風で籾殻を飛ばして選別していました。また、江戸時代の火消組には団扇が消防用具の一つとして常備されていました。消防用の団扇は、扇部に漆を塗るなどした大団扇で、これを扇いで火の粉を払い類焼を防いでいました。その他には日差しをよけるためにも使われていました。また、蚊帳での出入りの際に蚊をはらったり、お茶の間ではハエをはらうなど、虫をはらうのにも使用されました。

文化的な機能

風俗的・民族的な意味では、災厄や身の汚れを祓うもの、威儀を示す・正すもの、顔を隠すもの、家紋などの象徴を表すもの、儀式の際にかざすもの、軍配・差配として占うもの、客間に置き客をもてなすもの、贈答、盆踊りなどでもって踊るもの、縁日などで売られる縁起物、広告として宣伝する者、おしゃれの小道具として装うもの、描かれる模様などから流行りにのるもの、蛍狩りや虫追いに使うものなどとして使われています。また、東京都府中市にある大國魂神社では、烏団扇という者があり、団扇はあおぐことで田畑の害虫を駆除する、悪病を払う、門口に貼るとなつの病を防ぐと信じられています。奈良県奈良市にある唐招堤寺の宝扇は、地紙に真言が刷り込まれ、寺僧が自ら作成し、団扇撒き会式で参拝者に授与され争奪によって獲得します。この団扇は災厄を除く呪物のひとつとされています。

贈答品として

古代、調停が渤海使に「檳榔扇」を贈ったように、暑中の贈答品として主要な地位を占めてきました。現代における企業や商店が配る団扇もその流れを汲んでいます。生まれて初めて富士山を祀る神社に参拝する行事で、山開きの日の例祭に、初山団扇と呼ばれる団扇を購入して親類縁者に配り、子供の成長の御礼と報告を兼ねる場合が多いです。団扇は本体、神社授与品とは別に売ることが多く、贈答品としての意味合いが強いのだそうです。

踊りの道具として

踊りにおいて使われる例も大変多いです。全員が持つ場合は同じ図柄をもつことで集団を表し、踊りの際は団扇を叩くことで拍子などをとり、休息時には涼を求めて扇ぎます。特定のものがもつ場合は、警護など役がつき踊り全体の差配などを行う役目があります。大型のものでは、その扇部にくみや講中、役名などを大書きして掲げ持ち、所在を表示することが多く、翳的な用法となります。

団扇と扇子の違い

「扇」という漢字はもとは団扇のことを指す漢字でした。それが団扇より後に日本で発明された「あふぎ(おうぎ)」にもほぼ同じ用途から「扇」の字があてられるようになり現在に至っていますが、日本では通常「扇」の字を以て団扇のことを指すことはありません。扇子と団扇は普通、外見の違いで区別できます。この二つは中世のように団扇は僧侶、文人、隠遁者に、扇子は公家や貴族を中心に使われた時代もありますが、扇子がどちらかと言えば礼儀の具として用いられる場合が多いのに対して、団扇は身分の別なく、夏の季節に気軽に使われる品となっています。

日本の有名なうちわ

房州うちわ

房州うちわは、千葉県南房総市、館山市の特産うちわです。千葉県指定の伝統的工芸品の一つで日本三大うちわにも数えられる歴史のあるうちわです。地域に自生する女竹(細い篠竹)を原料に用い、細く裂いた骨と一体となった丸柄が特徴です。全ての製作工程を手作業で行っており、工程数が21と多いため、工程ごとに分業して製作しています。房州うちわの生産は江戸時代に関東でうちわの生産が始まったことに端を発します。房州はうちわの材料の女竹の産地で、那古港から江戸へ向けて女竹を出火していました。1877年ごろから那古港周辺でうちわの骨づくりが始まります。1923年には、関東大震災で被災した東京のうちわ問屋が那古港に近い船形地区へ移住し、房州での団扇生産が本格化しました。千葉県では唯一の「経済産業大臣指定伝統的工芸品」です。

丸亀うちわ

丸亀うちわは香川県丸亀市で生産されている団扇です。その起源には3つのルーツがあると言われています。一つ目は江戸時代、1633年に金毘羅大権現の別当、金光院の住職が考案したものです。渋うちわに「金」の文字印を入れて、金刀比羅宮参りの土産として原告に広がりました。マダケを素材とした「男竹柄」で、渋柿を塗って作り上げた丈夫なものだったそうです。二つ目は京極丸亀藩時代の天明年間(1781~1788年)に、丸亀藩士の内職として奨励されたものです。製作の中心が「男竹丸柄」から「女竹丸柄」のうちわへと次第に移って行きます。3つ目は明治に作り始めたという「男竹平柄」のうちわです。現在の「丸亀うちわ」といえば、この「男竹平柄」が一般的です。明治の中頃、丸亀団扇組合が結成され、代表的な地場産業に発展しました。経済産業大臣指定の伝統的工芸品であり、現在の全国うちわ生産量の約9割を占めています。

茄子団扇(なすびうちわ)

茄子団扇は、三重県津市名産のうちわです。津市の伝統的工芸品の指定を受けています。文政時代、津藩の別所安連という藩士が、公務の間の余業になすび型の団扇を作ったのが始まりだそうです。その形が優美で雅趣があるというので、周囲の人々にも賞賛されただけでなく、藩侯も特別に注文したものを将軍への献上品としたり、大名家への進物としたりしました。評判がよく、さらなる制作依頼もあったそうですが、本業ではなかったため増産は出来ませんでした。明治維新ののち初めて団扇作りを本業とした結果、一度は茄子団扇の名も広まったのですが、昭和の中ごろに手法を伝える人が途絶えてしまいます。しかし、製作の様子を知っていった賀来商店の賀来真一が茄子団扇を復活させ、現在はその次男夫婦が製作を引き継いでいます。

海外のうちわ

タイでも稲の刈り入れ時などに竹製のうちわが使われています。しかし、日本のそれとは違い直径約40センチ、重さ300グラム、柄の部分も合せれば長さは70~80センチにもなるうちわで、涼しくなるどころかあおげばあおぐほど汗だくになってしまいます。この巨大なうちわは、稲などの穀粒を穂から取り離したあと、籾を空中に放り上げ、団扇で扇いで得られる風によって実と籾殻や小枝の選別をする「風撰」と呼ばれる作業に使われています。単純な作業のように見えますが、その原理は手動のの唐箕や動力脱穀機でおこなわれる脱穀にも用いられています。

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